世間のある人人には

[#2字下げ]世間のある人人には……[#「世間のある人人には……」は中見出し]

世間のある人々には、その日々の消光《くらし》がひとりで牌《ふだ》を打つパシアンスの遊《あそび》の如く、またはすつかり覺えこんだ日課を夢うつゝで譫語《うはごと》に言ふ如く、またはカフェエに相變らずの顏觸と薄ぎたない歌留多札を弄ぶやうだ。ある人々には、一體、生《いのち》はごく手輕な造作も無い尋常一樣の事で、手紙を書いたり、一寸は「あそび」もしたり、とにかく「用事」は濟せてゆく。してその翌日《あくるひ》も同じ事を繰返して、昨日《きのふ》に異《かは》らぬ慣例《しきたり》に從へばよい。即ち荒《あら》つぽい大きな歡樂《よろこび》を避《よ》けてさへゐれば、自然また大きな悲哀《かなしみ》もやつて來《こ》ないのだ。ゆくてを塞ぐ邪魔な石を蟾蜍《ひきがへる》は※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて通る。

しかし、君、もし本當に生きてゐたいなら、其日其日に新しい力を出して、荒れ狂ふ生《いのち》、鼻息強く跳ね躍る生《いのち》、御《ぎよ》せられまいとする生《いのち》にうち克たねばならぬ。一刻も息《やす》む間《ま》の無い奇蹟を行つてこそ亂れそそげたこの鬣《たてがみ》、汗ばみ跳《はず》むこの脇腹、湯氣を立《た》てたるこの鼻頭《はなづら》は自由に出來る。君よ、君の生《いのち》は愛の一念であれ、心殘の銹《さび》も無く、後悔の銹も無く、鋼鐵の清い光に耀け。君が心はいつまでも望と同じく雄大に、神の授《さづけ》の松明《たいまつ》を吝《をし》むな。塞《ふさ》ぎがちなる肉身《にくしん》から雄々しい聲を噴上《ふきあ》げよ、苦痛にすべてうち任《まか》せたその肉身《にくしん》から、從容《しようよう》として死の許嫁《いひなづけ》たる肉身《にくしん》から叫べ。寶玉は鑛石を破つて光る。

— posted by id at 04:53 pm  

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